1.武者・七福神について
藤森祭で鼓笛隊とともに、武者と七福神の行列が氏子地域を巡行します。神役はこれらの運営やお世話のほか、身に着ける鎧兜(よろいかぶと)や装束の管理もしています。武者や七福神の行列は、氏子地域にある自治会が輪番で当町(当番)となり、住民の方に参加いただいています。神役の奉仕活動は住民のご協力によって成り立つものも数多くあります。

2.武者・七福神行列の紹介

・朝渡(あさわたり)
祭神の早良親王が天応元(781)年皇太子に立ったとき、陸奥の伊治大領砦麻呂が謀反勢力を増したため、征夷大将軍として軍勢を催し、藤森神社に詣でて戦勝を祈願し出陣しようとしたところ、これを伝え聞いた勢力がおののき乱が平定しました。その時の行装と言われています。

・皇馬(こんま)
清和天皇貞観(じょうかん)の年(859~877年頃)に、国の平和と天皇の長寿を祈り、官幣を捧げて勅諚の神事が行われました。これが深草祭(藤森祭)の始まりで、昔は賑やかに行列を組んで御所に行ったと言われており、そのときの行装です。古くからの国の安泰、民に繁栄を祈るための行列で、当時の天皇をはじめ、公家・武家・民の全て、とりわけ氏子の人々の長寿と繁栄を祈願しています。

・七福神(しちふくじん)
日本・中国・インドという異なる国の神仏が組み合わさって、室町時代頃に日本で成立したと言われている七柱の神様の総称です。それぞれの神様が福をもたらすと言われ、元禄時代(1690年頃)に行われていた行装を復活させたものです。

・払殿(ほって)
御祭、神功皇后が纛旗(とうき)を掲げて凱旋したときの行装です。
※纛旗とは軍中の大旗。日像・月像は金色の太陽および銀色の月を刺繍します。
